2008年10月、「ビンの中の命」という演劇の上演回数が280回を迎えました。

とあるポーランド人女性のなしとげた偉業をテーマにしたこの演劇は、アメリカ・カンザス州にあるちいさな町の女子高生4人が作り上げたものでした。

少女たちは社会科の先生の勧めで出ることになった全米歴史コンテストのテーマを選ぶうち、第2次世界大戦時のポーランドで2500人ものユダヤ人の子供達を助けたイレーナ・センドラーという女性がいたという記事を目にします。この女性をテーマにしようと思い立った彼女達は必死でこの女性について調べますが、インターネットで探しても図書館で文献を読んでもそのようなものは一向に見当たりません。こんなに助けていたのなら絶対になにか情報は出てくるはず、やはりデマだったのかとあきらめかけたその時、あの戦争を生き延びたユダヤ人の連絡先を手に入れます。少女達の真摯な気持ちに心打たれたユダヤ人たちは当時について語り始めました。

戦前のイレーナ・センドラーさんはワルシャワの社会福祉局に勤務し、お年寄りや孤児達に食事と生活用品を援助していました。その中には貧しいユダヤ人も多く含まれていました。1939年にドイツ軍がワルシャワに侵攻し町を占領すると、ユダヤ人を隔離するためのゲットーを作りました。センドラーさんは看護婦としてゲットーに入る許可を得、彼らのために救援物資を運んでいました。やがて彼女はユダヤ人を助ける地下組織“ジュゴダ”に加入。しかしドイツ軍はユダヤ人絶滅の決定し、たくさんのユダヤ人たちが絶滅収容所に送られるようになりました。大人は無理かもしれない、でも子供ならなんとかなるのではと思ったセンドラーさんは子供を持つユダヤ人の大人たちを説得し、子供達を孤児として修道院や教会へ連れて行き匿いました。子供達には出生がばれないようにいままでと違う名前が与えられましたが、センドラーさんは戦争が終わったら子供達が自分の親と会えるようにひとりひとりの本名と親の名前を書き記し、それをビンの中に入れてリンゴの木の下に埋めて隠しました。書き記された書類は2500人分にもなったそうです。

やがてセンドラーさんがしていることはドイツ軍の知ることとなり、子供達の行方を口にしなかった彼女は死刑に処されることになりました。

2001年5月、カンザスの4人の少女たちは始めてポーランドを訪れました。彼女達の目的はイレーナ・センドラーさんに会うことでした。なんと彼女は生きていたのです。死刑執行の前日、彼女の知り合いがドイツ軍に賄賂を渡したおかげで彼女は逃げることが出来たのでした。

少女達がセンドラーさんを訪れたことにより、今までポーランド国内でもまったく知られていなかったセンドラーさんの偉業が知られるようになりました。2007年にはノーベル平和賞候補に選出されました。

彼女達がセンドラーさんの体験をもとにしてつくった演劇“ビンの中の命”は歴史コンテストのカンザス州大会で1位に輝きました。彼女たちはこれからもセンドラーさんの心を受け継いでいこうと、このひとりの女性が成し遂げた偉業について語り続けていこうと思っているそうです。

 

  • センドラーさんと女子高生達 / Pani Sendler z dziewczynami

  • 若いころのセンドラーさん / Pani Sendler w czasie wojny

  • イレーナ・センドラーさん / Pani Irena Sendler

  • イレーナ・センドラーさん / Pani Irena Sendler